博士前期課程回顧録
基本姿勢
社会で名誉ある地位を占めるためには,人ができないことができる必要がある.
人ができないことができるためには,人がやらないことに夢中にならねばならない.
人がやらないようなことに夢中になるためには,それが夢中になるような自分を,周りの人々からずらすことで構築する必要がある.
そういう意味で一般的な視点からみてずれている人はなにも,狂っているわけでもないし元から変わっているわけでもない.
何度も何度も考えて,挑戦して,後悔して,無理やり自己肯定して,他人とは違った世界の見え方がようやく血肉化した時には,自分がこれまで歩んできた道のりを忘れ,なぜ皆が自分のことを理解してくれないのだろうと途方に暮れる.それが,人と異なるということだと思う.
回顧録
あと半年で修士生活が終わろうとしている. この修士の期間において,およそ2年前の自分には考えもつかなかった経験,自己認識,今後の進路に関する結論のようなもの.とにかく目まぐるしい2年間だった. 様々な人の運,時の運を前提として生じた現象ではあるものの,日々悩み続けた自分としては,少しでもこの環境に再現性があると信じたい. 未来の自身のため,もしくは同じように悩める修士学生のため,私の修士生活について記しておきたい.
学部時代・研究室
まずは,自分にとっての挫折から.学部時代の研究室配属と修士の院進学の両方で,1番行きたかった研究室に続けて落ちた.筆記試験で落ちるならともかく,面接や人との関わり合いの中で認められなかったことを突きつけられるのは苦しいものだ. 自分は人から見られる自分の印象を上手く設計出来ない節があり,長い間なぜ落ちたのかの理由も分からないでいた(つい最近なんとなくわかったのだが,プライベートすぎるのでやめておく,今思えば大した理由ではない).
このときを境にして,自分の全能感を捨て去るようになった気がする.それまでは自分のことをとりあえずなんでも小器用にこなすタイプだと思っていたのだが,社会のことを舐めていては,足元もおぼつかない事に気づいたからである. 志望研究室に落ちたので,必然的に学士,修士とそれぞれ異なる研究室に進むことになった. 振り返ってみれば,誤配によって生まれる環境での生活も予想以上の学びがあり,その環境でしか得られないものも数多くあったように思う.
未踏応募
学士の研究室配属に落ちたあたりから,自発的にアクションを起こすならばあと1年+修士2年間だという思いが一層強くなった. 研究の相談をするために独断で隣の別分野の研究室に凸るという謎ムーブをかましたのも相まって,そこで仲良くなった先輩と未踏に応募することになった. 面接コンプレックスのあった自分がなんであんな面接が全てみたいなプロジェクトに応募できたのかは謎である.とにかく相方の先輩が強すぎてなんでもいけるんちゃうかみたいな謎の浮つきだけがあったのを覚えている.
未踏採択・修士1年
ちょうど修士にあがるタイミングで,筑波大学の落合陽一先生に採択された.正直なんかここら辺の実績で10年は食えたりするんじゃないかと安直に思った記憶がある.まさに安直.
修士の研究室の教授にかなりの迷惑をかけながら,修士1年目はほとんど研究そっちのけで未踏に全振りのような形式になった.
この未踏期間で本当に多くのことを学んだように思う.しかし不思議なのは,具体的に何を得たのかが正確に分からないことである.
ひとつあるとすると,人生で初めて,人の生き方から学ぶという経験をした.まずは落合先生.外からみると,とりあえず稼働時間が人の2倍あるのに任せて常人には不可能な曲芸をしているネット芸人にみえる.近づいてみると,稼働時間が2倍あるのは確かだが,もっと重要なことがわかる.どこのツマミを捻れば全体にとって本質的なことが出来るかを常に体現している人だった.それは単に社会の仕組みをハックするということではなく,人間を愛するということで,どうやったら日々の決断が単なる社会のハックに留まらないかを考えるということが大切であるということを教えてくれた人だった.
次に,未踏における相方だった大学院の先輩.とにかく,自分が失敗してきた道のりの歩き方を熟知していて,人生で競争に勝つという点で比類なき人だった.しかし,そうであるが故に,その裏側には色々なものを抱えている人でもあった. そういうものを通じて,自分の生き方と自分から生まれる価値は密接不可分であること,一蓮托生の自我と社会的個人との間で自問自答し,自分なりの作品として人生は社会に体を為すのだと知った.

博士進学をしようかと思ったのも,未踏によって決まったようなものだと思う. 落合先生と何人かで夕食を食べていて,就活とかしてるのかと聞かれたので,「A社(大手)とか受けようとしちゃってます,ハハ」と言ったら,落合先生が持っている皿を持ち上げて,「え,それってなんかこの皿を俺が厨房もってって洗うみたいなことじゃないの」と言われた.
そんなまた安直なと思われるかもしれないが,その時の自分は,この言葉を真に受けずに進路を決めたら,人生後悔するだろうなと思ったので,博士に行こうかと思い始めたのである.
修士2年
未踏期間が終わり,その時には就活はもう話半分みたいな感じだった.未踏ほどあんな周りが全員博士に行くみたいな環境もそうないだろう.
産総研
修士2年から産総研のインターンを始めた.理由は,もし博士に行くのなら山の登り方を知っている人から学ぶべきだと思ったからで,研究に真面目に向き合うことなく1年を過ごした修士期間の棚卸しだと思ったからである.結論からいえば,産総研に入れたのはとても良かった.自分を受け入れてくださった指導教員の奥村さんはこれまた比類なき人で,研究人としての歩き方を数多く教えて下さった(ハイキングが大好きだそうだ).奥村さんが個人のノートに書いていた"鶏と卵、富める者はますます富む"仕組みは研究においてもよりメタな社会的個人においても常に存在していて,ある領域で人より高い点をとるためには,初期状態の加速度が何より重要である.そういう点で産総研という環境は研究人におけるハイウェイとして非常に機能している.自分がこの先アカデミックな進路を選ばずとも,短期長期の戦略に関わらず熱量の高い人々の元に身を置くことはとても重要であった.
もしあなたが本気なら,直接熱源に触れましょう.遠巻きに見ていても何も起きない.ポーズだけきれいにとっているつもりの自分に対して,常に自問自答しましょう.それは他ならぬ私もそうです.
アブダビ自動運転レース
未踏が終わり,学士の頃に働いていたインターンの会社に戻ろうとしたのだが,1番お世話になっていた社員の方々が新しく会社を作って,アブダビで自動運転レースをやるというので,そんな面白いことは他にないと思って参加させて頂くことにした.来月1ヶ月アブダビで暮らしながら開発を行うことになる.帰ってきたら旅日記でも書こうか.
博士進学
日本で金を稼ぎたいなら,早いところで専門性の獲得には見切りをつけて就職しろ,金が無くても良いなら博士もいいぞみたいな論調は嫌いだ.アカデミアの人さえこの論調に甘えているのは度し難い.金銭面含めて大学のような研究機関が名誉ある就職先になることが国家の科学技術戦略にとって重要なのではないのか.なんでこの変わりゆく社会のなかでこの一週間の経済指標をstaticに切り取って理想と反する負の事実追認だけして芋を引いてるんだ.金に煩悩をもっていかれるような人間には研究は務まらないみたいな意見も謎である.普通に研究者に経済的センスとか社会構造への理解はもっと必要だろ.そんな愚痴を吐きながら博士に進学することになった. まだ正確には決まっていないので名前は伏せるが,機械学習系の研究室に進むことになると思われる.研究相談から院試まで親切に相談に乗って下さった研究室の助教には感謝しかない.本当に人に恵まれて乗り切っただけの修士2年間だったと言える.